【持たないか、沢山持つか。ひとつはダメ!】
【027】
おはようございます!
小島です。
本日も
【 「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
私たち人間というのは、
勝手に捏造した概念に振り回されているのです。
例えば、
価値が「ある」とか「ない」といったことも、
勝手につくられた基準を用いて判断しているだけですし、
他人の基準で測られたくないといって反発したところで、
代わりに持ち出す自分の価値観というものも勝手な妄想でしかないのです。
私たちは、
自分と他人をはかる「勝手な基準」を持ってしまっているから、
何か集団や組織の中で、不安になってしまったり、恐怖を感じたりするのです。
「勝手な基準」を持っているから、自分と他人を比べてしまう。
というより、比べたくなってしまうのですね。
だから、「勝手な基準」なんて持たなくていいのです。
余計なものを持つから、余計な問題を抱えてしまう。
もし、もしも持ちたいというのであれば、
逆に数多くの「基準」を持った方がいいということです。
ひとつの
「基準」しか持っていないから、
ひとつの
世界しかないし、
ひとつの
世界観しか持っていないから、
ひとつの
世界観しか理解ができないのです。
この
「勝手な基準」を疑いもなく信じ込んでしまっているから、
本質的なことが、実は何も見えていない状態となってしまっているわけです。
人間というのは、
誰よりも自分の方が偉いとか、
誰よりは自分の方がやれているとか、
誰々はダメだとか。
自分という者を中心に他人と比べたがる。
ヒエラルキーを作ってしまうのです。
そういう人間のことを
ドイツの哲学者:フリードリヒ・ニーチェは「末人(=おしまいの人)」と痛烈に批判しました。
以下、ニーチェが「末人」について語った言葉をご紹介します。
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「人間は昔より多く理解し、多く寛容になったかもしれないが、
それだけに真剣に生きることへの無関心がひろがっている。
すべての人がほどほどに生きて、適当に賢く、適当に怠け者である。
それならば現代人に、成熟した中庸の徳が身にそなわっているのかというと、
決してそうではない。
互いに足を引っ張りあい、互いに他を出し抜こうとしてすきをみせない。
「人に躓く者は愚者」であって、「歩き方にも用心深く」なければならないのだ。
人間同士はそれほど警戒しあっているというのに、孤独な道をひとりで行くことは
許されず、ベタベタ仲間うちで身を擦り合わせていなければ生きていけない。
「温みが必要だからである」
彼らは群をなして存在し、ときには権威ある者を嘲笑し、すべての人が平等で、
傑出した者などどこにもいないと宣伝したがっている。
それなら本気で、権威と敢然と闘おうとしているのかというとそうではない。
本当に他人と争おうとしているのかというとそうでもない。
彼らはすぐに和解する。
「そうしなければ胃をそこなうことになるからだ」
せいぜいその程度の保身、その程度の衛生配慮が、現代人の掲げているご立派な標識なのであって、人間はこうしてだんだん小粒になっていく。
最大多数の最大幸福が、いわば生の目標、絶対的な基準にほかならない。
貧富の差があることはもうただ面倒なことなのである。
そして、何よりも健康を重んじる。
末人たちは言う。
『我々は幸福を発明した』と。
そして彼らはまばたきする」
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人間は、人それぞれに様々ないいところがあって、
そして逆に悪いところだってあるんです。
自分中心の「勝手な基準」を他人に押し付けてはいけないのです。
「基準」をひとつしか持っていないから
世界が見えなくなってしまうし、
世界が狭くなってしまうのです。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
小島 崇株式会社ソアサービス研究所
Organize Advisor/考え方コーチ/整頭師 ・フィロネス・マスター・プログラム 1期生。 ・日本人類学会 会員 ・公益財団法人 日本学術協力財団 寄付 ・ライオンズ国際協会 会員 ・二級建築士 ・日本実務能力開発協会 認定コーチ ・職歴 : 美容業界・建築業界で活躍。 ソアサービス研究所=アイデア創出支援会社。
株式会社ソアサービス研究所
代表取締役