【事実なんてない世界なのにジャッチメントが必要。あなたはどう?】
【029】
こんにちは!
小島です。
本日も
【 「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
「何で正しいって勝手に決めるの?」「別にいいでしょ」
なんて声が聞こえてきます。
ナニゴトもそうですが、
ジャッチメントをしたくなりますよね、不思議と。
正しいとか正しくないとか、決めないでそのまま放置ができないというか・・・
自分だけならともかく、
自分以外の相手に対しても、なぜか自分のジャッチメントを分からせようと必死になってしまう。
本当ならば、自分は正しいと思うだけだし、自分は正しくないと思うだけ。
しかし私たち人間は言葉の世界で生きていますから、
何かしらの規則によって動かされているように思います。
この規則が正しい、正しくないに導いているように見せているのです。
でも考えてみれば、いかなる規則も「正しい」し「正しくない」とも言える。
つまり世の中は「固定点」はない世界なんです。このことが重要なんです。
これを前提として話を進めてみるとどのようなことが見えてくるのか。
私たち人間は、
言葉の意味のやり取りをある規則に基づいて決定しています。
その規則自体が「正しい」とも捉えられるし「正しくない」とも捉えられるのです。
だから、
相手との意見が違っていたとしても、
その「正誤」は決定ができないということです。
だって、
自分自身が「規則」というモノにどのように従っているのかさえも決定ができないのですから、
相手の規則を「正しい」と捉えることもできるし「正しくない」と捉えることだってできる。
だから、
自分の規則との違いにおいて、「正誤」は決めることができないということ。
「あなたはどのような規則に従っていますか?」と問われた時、
自分がどのような規則に従っているのかも決定ができないということ。
つまり、
相手の規則も自分の規則も決定はできないということなんです。
では、
なぜここまで決めるができないのでしょうか。
それは先ほどからお伝えしている通りですが、
この世の中には「固定点」がそもそもないからなんです。
規則というのは「正しい」と「正しくない」がはっきりしているからこそ従えるわけであって、
これがそもそもないということは、従えないということになる。
言葉の意味も言葉のルールも、つまりは規則で決まるということですから、
その規則が決められないのであれば、言葉の意味も決定ができないということ。
言葉の意味が決定できないということは、自分自身が何を言っているのかさえも、
自分自身が何を考えているのかさえも、捉えることができていない状態であると言えるでしょう。
今の世の中のめまぐるしい変化もそうで、
この変化自体もまた確定できないとも言えるし確定できるとも言えるもの。
そもそも変わるとか、動くなんていうものは事実の世界にはないことです。
誰かが言葉によって定義(捏造)したものなのですから。
フリードリヒ・ニーチェ:遠近法(パースペクティブ)
人は、自分の欲望に応じて「事実」を決める。
この世界に事実はない、あるのは解釈だけ。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
小島 崇株式会社ソアサービス研究所
Organize Advisor/考え方コーチ/整頭師 ・フィロネス・マスター・プログラム 1期生。 ・日本人類学会 会員 ・公益財団法人 日本学術協力財団 寄付 ・ライオンズ国際協会 会員 ・二級建築士 ・日本実務能力開発協会 認定コーチ ・職歴 : 美容業界・建築業界で活躍。 ソアサービス研究所=アイデア創出支援会社。
株式会社ソアサービス研究所
代表取締役